少し昔の話。
初めて自分がリストカットをしたのは中学3年生の頃。
夜中の2時過ぎごろで、今丁度これを書いている同じくらいの時間帯。気づいたら洗面所で親の除毛カミソリを握り締めていた。2階の自分の部屋へ上がる途中で階段が軋む音に親が起きてバレないか不安になった。でもその音が聞こえないくらい自分の心臓の音は大きかった。
勉強机の明かりだけが付いた部屋に入り、鍵を閉めて椅子に座った。しばらく10分ほど無心になり、ボーッとカミソリをただ見つめてるだけで時間が過ぎた。思い出さなくていい過去のことがふと頭によぎってそれが燃料になったみたいに、手首に刃を当てがった。除毛カミソリは深く切れないから、それを選んだ自分がダサいとも思った。
軽く当てて横に引いてみた。それだけで切れるほど鋭利なものではない。強く押し当ててみた。少し跡ができるだけ。強く当てて横に引かないと切れないのは分かっていても、いざとなるとできなかった。情けないと思った。
幼い頃から我慢ばかりしてきた。家庭の環境が一般的なものではなかったため。なるべく思ってることは言わず、感情も表に出さない。自分が我慢すれば解決するのなら、我慢しよう。そう決めて生きてきた。だから、悩みやストレスなんかを消化する方法がわからないまま大きくなって、学校ではムードメーカーで明るく楽しい人だと思われていた。本当は全然違うのに。どんどん自分の中にモヤモヤしたものが膨らんでいって、でも吐き出すことはできなくて。『あ、もう破裂してしまいそうだな。』そう気づいた時が初めてリストカットをした日だった。
またしばらく刃を見つめてた。今度は当時悩んでいたことや過去のことで頭がごちゃごちゃになりながら。
カミソリを握る手が少し痺れてくるほど時間が過ぎた頃、気が付いたら初めて自分で自分を傷付けていた。
左手首から冷たい電気が「ツンッ!」と全身に走ったみたいな感覚になった。
じんわり血が滲んでくるのをただ見てた。
すごく暖かかった。
痛かったからではなく自然と涙も溢れてきて、声を抑えて号泣してしまった。
自分の中のモヤモヤしたものが萎んでいく感覚があった。
気づいたら朝で、何もなかったかのように学校へ行った。
それから定期的にリストカットをするようになった。
当時1番の自分の心の拠り所がリストカットだったけど、人間は慣れる生き物だからやはりそれでは限界があった。いよいよ本当に死ぬことも考えるようになってしまった。
また、夜中に傷跡を見ながらすごく考えた。
その傷跡を見ていると自分が生きてきた証にも思えてきて、いざとなればそれが死ぬ勇気にだってなるとも思えた。
死んだことにしよう。
死んだことにして、もう自分がやりたいようにやろう。人生やり直しだと思って、我慢もやめて、言いたいことも言おう。
最悪また死ねばいい。
そう思った日からリストカットはしなくなった。
今も辛いことがあると、うっすらと残ってる傷跡を見て心を落ち着かせることがある。当時の自分の決意を汲み取るのであれば傷跡というよりも、「証」と呼んだ方がいいのかも知れない。だが自分と同じような人がこれから生まれて欲しくないという気持ちがあるから、あえて「傷跡」と呼ぼうと思う。
久しぶりに自分の中では消化し切れないストレスが降りかかって来たので、昔のことを思い出してしまった。
初めてリストカットをした日があるか生きているのかも知れない。
今日がまたいつかの自分の糧になるかも知れないから、耐えようと思う。
もっと辛いこと乗り越えてきたのだから。